イスラムの祝祭、イードに立ち会った話。
※苦手な表現や写真が含まれているかもです。また、僕個人の感想です。ご了承を下さい。
こんばんは、絶賛お腹下し中の脱皮です。
突然ですが、イスラム教の国々はだいたい昨日でイードが終わったと思われます。
(もしくは明日までのところも)
僕のいるバングラデシュ・ダッカも、昨日Eid Ul Adhaがあり、バングラ人のインターン先の同僚や友達などから
Eid Mubarak! (=「イード、おめでとう!」)
とメッセージをちらほらいただきました。
返事に困りましたが おめでとう! と伝えました。笑
外務省から注意喚起があったよう、イードの期間はテロが起きやすいそうです。
イードの一つEid-Ul-Fitr(ラマダン明け大祭)に、ダッカで日本人を含む多くの人が犠牲となったレストラン襲撃事件(2016年7月)も、この時でした。
ラマダンは特にですが、この期間は宗教色が強くなる傾向だそうです。
ダッカに来て1ヶ月、僕自身、治安面では危なさを感じていなかったものの、昨日おとといは外出を控えていたのですが、昨日の夕方どうしてもうずうずしたので、買い物(近場)を口実に外に出てみてみました。
本日は僕の見たEid Ul-Adhaの街中の光景について、ちょこっと触れてみます。
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その前にイードについて少しだけ。
年に2度あり、「Eid ul-Fitr」と「Eid ul-Adha」がそれです。
Eid ul Fitrの方は、断食明けの祝祭で、30日に及ぶラマダンから解放された時に行われます。イスラム暦で10月1日から。
そして、今回行われているEid ul-Adha(イード・ウル・アドゥハ)は、簡潔に言うと犠牲祭です。
アブラハムが、息子のイスマーイールをアッラーフへの犠牲として捧げた事を、記念する期間だそうです。
ムスリムは正装になり、モスクへ集まります。
そして、家族や親族で捧げる家畜(牛や羊、ヤギなど)を供出し、資格のある人がその肉を捌き、家族、友人そして貧しい人たちに分け与えるというものです。
とてもおめでたい期間で、日本でいう正月みたいなものだそうです。
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さて。昨日の朝、いつも以上にモスクからのアザーンの音が大きくて、目が覚めました。
※アザーンとはイスラムの1日5回の礼拝の呼びかけの音。スピーカーで流れます。
この時は、あ、始まったんだな〜としか思っていなかったのですが、
夕方に外へ出た瞬間、鼻を刺激するような異様な匂いに包まれます。嗅いだことのないような匂い。
そして玄関を出ると、路上にたくさんの血の海が残っているのを目にしました。
いつもの生ゴミや排気ガスの匂いではなく、それは動物の血の匂いでした。
上記で触れた、動物の解体はほとんど終わっていたのですが、道には多くの人が集まり、あるモスクの前にはその肉を頂きに来た人や、まだ捌いている人でごった返していました。
そして、お肉をいただいて嬉しそうにしている子供や、年配の方、家族や友人たちで集まる温かい人々の光景が垣間見えてきました。
そして、さらに大通りへ進むと、また違った光景が見えてきました。
道路の脇捨てられた動物の顔や内臓、骨、牙など。
血の流れる川。
お肉を売る商人たち。
あるところでは、牛を捌いている途中の集団を見かけました。
牛を抑える大人の人、協力しながら捌く職人。それを真剣に見守る人々。溢れる鮮やかな血。
驚いたことに、中には子供たちも多く見守っていました。
正直、僕自身は、衝撃的な光景と慣れない強烈な匂いで、何度か吐きそうになりました。
しかし同時に思いました。
この行為は動物をいただく我々のリアルで、食や命と向き合うことなんだと。
子供たちにとっても、尊い命をいただくことについて、いろいろ学ぶことなんだと。
命をいただくということ。普段の食事についてしっかり向き合うこと。
普段何気なく食べているものも、誰かの手のおかげであること。
数十秒の間でしたが、いろいろ考えさせられる場面に立ち会いました。
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さて、買い物を口実に外へ出たわけですが、まさかのスーパーが閉まっているという新たなリアルに立ち会った僕。
考えてみれば祝祭の間は普通お店閉まってるよな。。と。
そんな中、食べるものがなく困っていたところ、救いの手が現れます。
なんとケンタッキーは空いていたのでした。
(そもそもKFCがこんなところまで進出していることが素晴らしい。)
店内はお客さんが全然いませんでしたが、260tkほどの夕食を買って帰ったのでした。
さて、突然降ってきた1週間の休日も折り返しを迎えた脱皮。
突然でしたが、文化の違いや命の大切さについて考え、貴重な1日になりました。
一皮むけたかな。